Essay


●●● カレー粉 ●●●

 

 カレーを主食にしている国に行くと、そこに住む人たちは皆、カレー臭い。
 スリランカに行ってカレーを食べたら、二日目にはもう、自分もカレー臭くなってしまった。汗が黄色くなって、白いシャツが黄色に染まった。嘘のようだが、本当の話。多分、ターメリックの黄色だろう。
 スリランカとモルジブに二週間滞在して、朝、昼、晩と毎日カレーを食べたが、一向に飽きなかった。カレー、大好き。特に肉や魚を使わない、ベジタリアンカレーが好きだ。インド人も、スリランカ人も、ネパール人も、皿のカレーをご飯やパン(ナン)にまぶして手で食べる。使うのは必ず右手だ。左手は不浄の手として、食べ物を口に運ぶのには絶対に使わない。
 「いつ頃から、そうしろと教えられたの?」
 と尋ねたら、誰からも教えられた記憶は無いが、気がついたら自然にそうしていた、とのことだった。
 手で食べるのにも、綺麗な食べ方、上手な食べ方があるもので、やはり、いい処のお嬢さまなどは、楚々とした感じで召し上がる。煮込んだカレーは、案外熱いもので、手で掴んでみるとそれがよく分かる。ある程度にさましてから頂くほうが、体にもいいのだろう。

 スリランカの思い出は多い。家族揃っての旅行は、スリランカが最後だった。
 丁度、「ペラヘラ祭り」と呼ばれる盆祭りの最中で、二百頭以上の象のパレードを見ることが出来た。集まった象は、どれもこれも錦糸の布で着飾っていて美しかった。電飾のものも多かった。とにかくものすごい人出の混乱状態で、見物席は混沌としてた。
 日本から見物席の予約はちゃんと取り付けていたはずなのに、行ってみると無いという。あれやこれやとすったもんだの挙げ句、どういうわけでそうなったのか、首相のすぐ横の貴賓席からパレードを見物することが出来たのだった。一国の首相を間近で見ることなど、めったに無い機会だ。現に、私は自国の首相さえも生で見たことが無い。
 スリランカ辺りでは、「予約」や「契約」は、余りアテにならない。どんな信用、信頼よりも「現金」がモノをいう。
 旅の後半でスリランカからモルジブへ移動する際にも、現金は威力を発揮した。
 当時、スリランカからモルジブへ飛ぶ飛行機は、数が少なかった。その上、モルジブの飛行場は滑走路が短くて、大きな飛行機は飛ばせないから、自ずと旅客数も限られてくる。私たちのチケットも、日本では予約することができなかった。十人くらいの友人グループと旅していたので、現地へ来ても、それだけまとまった数のチケットが取れる見込みは薄かった。それでも主催者である父の親友は、航空券獲得のために走り回ってくれた。「メロンパン」に出てくる、神戸の大学教授だ。ものすごい交渉の末、奇跡的にも全員のチケットを確保できた。現地の小さな旅行会社に大金を預けて任せたのは、大きな賭けであったが、首尾よくいったというわけだ。
 移動当日。スリランカの飛行場へ行くと、モルジブに品物を売りに行く商売人と、世界各国からの観光客で、ロビーはごった返していた。日本人は少ない。私たちのグループの他には、同じくらいの人数の日本人テレビクルーがいるだけだった。
 「テレビの撮影ですか」
 などと和やかに言葉を交わしていたら、クルーの通訳らしきひとが真っ青になって飛んできた。
 「大変です、我々の予約が全部キャンセルされています」
 「えーっ!!」
 もう、話どころではない。彼らは大きな機材を担ぎながら、あっちへこっちへと走り回っていた。
 彼らの切符----そっくり我々のものになっていたのだ。これも、どこでそうなったのか、我々には分からなかった。任せた現地の旅行会社がお金で何とかしたのだろう。
 一週間後、モルジブからスリランカへ戻る日に、そのテレビクルーがモルジブに到着してきた。大変お気の毒なことだが、一週間もの間、スリランカに足止めを食っていたのだった。

(2000年10月の個展『心の図鑑』より)


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