Essay


●●● 肥後の守 ●●●

 

 私は、あまり物に執着する方ではないので、収集癖はない。それでも、集めているものが全く無いわけではない。肥後の守は、数少ない収集物のひとつだ。
 ある児童書を読んでいると、「肥後の守(ひごのかみ)」という言葉が出てきた。それまで、祖父が使っている黒い折りたたみナイフに、そんな洒落た名前があるとは知らなかった。いかにも現代風ではないあのナイフ、昔はどの子も必ず一本は持っていて、鉛筆を削ったり、木を切ったり、木工細工をするのに使っていた。
 「今でも売っているのかな?」
 そう思って、古そうな文房具屋を選んで入ってみると、ちゃんと売っていた。二百円という表示があるから、最近のものではないことが分かる。一本一本、小さな箱に詰めてあり、箱に、
 「スバラシイ切味 登録 銀峰肥後ナイフ」
 と書いてあった。
 別の店にも行ってみる。ここには、
 「最高級 特製品 本打割込肥後隆義」
 が売っていた。「肥後の守」といっても名前はそれぞれあるらしい。そうなると、他のも見たくなるのが人情だ。古そうな文房具屋を見つけては、立ち寄るのが癖になる。
 推測は当たった。あるある、いろいろな肥後の守が。
 「登録 割込 本刃付 肥後浮丸特級」
 「最高級品 安来鋼 本割込浮丸肥後」
 「商標 宗近肥後ナイフ」
 「登録 スピード 割込肥後常盛」
 「登録商標 肥後瓢箪王 切味本位」
 とまあ、名前は様々。「登録」「商標」という文字が必ずあるところを見ると、「肥後の守」というのはどこかの店の登録商標で、あとのはみんな模造品ということになるのだろう。それぞれに「うちのは登録商標です」と主張しているところが怪しい。そうなると今度は、本家本元の肥後の守と対面 したくなるではないか。

 浅草の刃物屋で、「これが本家本元の肥後の守です」という代物を見付けた。確かに、
 「本刃付 登録商標 肥後守定 駒 壱號」
 とあって、一号らしい。
 「でも、どうして、『肥後守』の後に、『定』の字が付いているのですか?」
 と、心に湧いた疑問を店番の親爺さんに素直にぶつけてみるた。研ぎ職人らしきその人は、
 「これは『肥後守』に『定めます』っていうことよ。よくあるでしょ、『何々』のあとに『定』って付けるのが」
 とつっけんどんにいう。よくあるでしょ、っていわれても、私はそれまで『何々・定』という表示には一度もお目に掛かったことがなかったので分からない。「肥後隆義」「肥後常盛」「肥後浮丸」などと同じように、「ひごもりさだ」と読ませるのかもしれないではないか。
 「本当に本家本元?」
 と、眉毛をちょっと動かして、再度念を押すと、親爺さんは少しムッとした。
 「うちにニセモンは置かねえよ。いるのかい、いらないのかい?」
 肥後の守を頭の上に振りかざす。
 「いただきます」
 確かに値段は、今まで買ったものの倍くらいする。しかも真鍮製とみえて、鈍い金色をしている。
 でも、本家本元の肥後の守が黒いナイフでないことが不思議といえば不思議。不満といば不満。
 この「肥後守定」の製造元を訪ねて話を聞けば、肥後の守を取り巻く複雑な事情が分かるのだろうが、模造品集めをもうしばらく続けてみるのも面 白いので、真相の調査は将来の楽しみに取っておく。 

(2000年10月の個展『心の図鑑』より)


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