Essay


●●● メロンパン ●●●

 

 大学二年の春だったと思う。
 そのころ、演劇学科に在籍していた私は、大の大阪喜劇ファンで、よくひとりで関西まで出掛けては、藤山寛美の芝居やら、吉本の劇場などを観て回った。そんな時は、大抵、神戸に住む父の親友のお宅に滞在させてもらう。長く海外に住んでいた大学教授のお宅は、調度品から食事から、何から何まで洒落ていて、いつもきちんと片づいている。私にとっては、憧れの家だった。
 その家の伝統(?)で、朝食だけは、美味しいものを時間を掛けて頂くことになっている。美味しいものとは、上等のハムとか、ソーセージとか、ニシンの薫製とか。それが、朝日の差し込む食卓に、焼きたてのトーストやサラダや果 物と共に、ずらりと並ぶ。毎朝だ。お茶はアールグレーのミルクティに決まり。パンも、紅茶も、クリームもバターも、全部「こだわり」の品々で、わざわざ注文して焼かせたり、外国から取り寄せたりしている。
 こんな風に書くと大層だが、神戸には彼のような「こだわり屋」や「食通」が大変多い。港町として古くから栄え、舶来品も外国人も多い土地柄か。私は何でも楽しめるタチなので、彼のような「こだわり屋」のウンチクを聞くのも楽しくてならない。

 暇そうにしている私に、その彼がいった。
 「神戸にはな、パン屋、ケーキ屋が多いんやで。しかも、どれも旨いわな。いっぺん、パン屋巡りしてみたらどうや?」
 素直さだけが取り柄だから、すぐに実行してみることにした。どこからか町内の地図を手に入れて、片端からパン屋さんに印を付けた。本当に製パン・製菓子店はたくさんある。
 (せっかく巡るんだったら、味比べをしなくては……)
 どの店にもあって、個性の出るパンは何だろう? そしてたくさん食べても飽きのこないパンとは? あれこれ考えて、ターゲットをメロンパンに決めた。
 パン屋を巡りながら、ひとつずつメロンパンを買っていく。道を歩きながらそのパンを食べて、素早くノートに感想を書く。神戸中を歩き回って、二十件近くのパン屋に立ち寄っただろうか。意外に思われるかもしれないが、メロンパンの味は、店によって実に様々であった。砂糖をまぶしてあるもの、ないもの。カリッとしたもの、ネチョッとしたもの。半分に切ってクリームを挟んであるものや、チョコレートを仕込んだものなどもあった。とにかく、食べて、食べて、食べて、食べて、どこにも発表するアテのない調査を続けたのであった。
 あの時のノートはどこにいったのかな?
 いずれにしても、それから十数年、メロンパンはひとつも食べていない。

(2000年10月の個展『心の図鑑』より)


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